桃園商店街の記憶

皆さん、こんにちわ。

4月に入り、過ごしやすい日々になってきましたね。

商店街を歩くにもちょうど良い季節でしょうか。

少し長くなりますが、『桃園商店街』について僕なりの記憶、印象などをちょっとづつ書こうと思います。(あくまで個人的な記憶や感想ですからねっ)

ほんのちょっとでも当時の光景や違いが皆さんに伝われば幸いです。

まず場所は、というと中野駅南口の西側に位置しています。

端的に言うと、中野レンガ坂を上がりきった場所(又はマルイ裏口側)に桃園通りという道が通っています。全長にして約500Mくらいでしょうか。

非常に小さな範囲ですが、その桃園通りを中心としたエリアに連なる商店や施設、その他で構成されているのが桃園商店街となります。

よく、皆さんレンガ坂にある店舗さんも同じ商店街と思われている事が多いのですが、実は『レンガ坂商店街』といってまた別の組織になっているんですね。また、その話は次回するとして。

僕自身、この地域で生まれ育ちました。

物心ついた1990年前後でしょうか、当時の記憶では商店街に魚屋さん、肉屋さん、八百屋さん、畳屋さん、お寿司屋さん、靴屋さん、雑貨屋さん、お蕎麦屋さん、なんだか怪しい甘栗屋さん、などTHE商店街と言えるようなお店がありました。

当時、走り回って遊んでいた子供ながらに、お店に立っているおじさん、おばさん達のそんな光景が当たり前の様にあり、そこには商店街としての空気感を感じることができていたのではないかと、

その名残りがある景色を見ては今でも懐かしく思い出すものです。

『ここ、ばあちゃんとサンマ買いに来てたなぁー』とか。

『この場所にあった肉屋さんは少年野球のコーチだったなぁー』とか。

僕が想う『古き良き桃園商店街』という記憶はおそらく、この頃の印象が強く残っているのかなぁ、と自分でも考えたりするのですが。

過去の記憶って結構、美化して覚えてたりしますもんね。笑

そして時はたち、時代の流れというものなのでしょうか、

気付けば、そんな商店も少しづつ減り始めていき、いわゆる昔の記憶とは異なる光景に変化していきました。

中野出身ではない方の地元もおそらく同じ様な変化、経験というのは起こっているんでしょうね。

ただ、それでもお祭りや御神輿などの行事は規模感は違えど毎年行われていました。それは今も変わらずです。

恥ずかしながら当時の僕自身、積極的にそういった行事には参加しなかったので続けてこられた先人の方達には反省と尊敬の気持ちを今は持っています。

さてさて、話が長くなりましたので今回はこの辺で、

次回もこの話の続きを書きたいと思います。

いつになるかわかりませんけどねー 笑

それでは!

 

4月4日 蟻